「この下り坂のようにすいすいと人生を歩みたい」
こんなふうに、山の下り坂を歩いて思う。
僕は今まで登る山を間違っていた。(そう思った理由はこちら)
どんなに頑張っても前に進めないし、他は頂上に向けてまっすぐに駆ける。
しかし、僕は周りの意見に流されて、後ろ背にフウッと息を吹きかけられて、何も考えずに山を登っていた。
でも、僕はこの山を歩く靴を持っていない。
僕の足取りはおぼつかなくて、隣のしげみに倒れてしまう。
しかし、22になって自分が登るべき山を見つけることができた。
この山に入ったきっかけは、命の危険を感じて大学院をやめたことだ。
この山は他の人に敬遠され、目指す人は少ない。
社会ではこの山に登るような教育を施さないし、僕の家族ですら登ろうとする僕の手首をつかむ。
しかし、この山に入ってから本来の自分を取り戻せた。たしかに、元の山よりも道は険しいし、判断を間違えれば足をくじいて元の山に帰れなくなるかもしれない。
でも、元の山で多くの傷を負ったし、僕はこの山の頂上に向けて、鎌で草をなぎ倒し、自分だけの道を作りたい。
今、たくさんの苦しみがあるのは、上り坂を進んでいるからだ。
きっとこの山の頂上と自分で切り開いた道をみて達成感を味わう時、元の山で考えた「早く下り坂にいきたい」と腑抜けたことを考えなくなっているだろう。
なぜなら、この山は僕が本来登るべき山で、この山を登る行為そのものに身体が力をみなぎらせている。
手を抜こう、休もうなんて思わない山を見つけることができた。
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