二兎追うものは一兎も得ず。
ことわざは非常に貴重なもので、先人の経験則を短い文にまとめている。
一方、二兎追って二兎得るもの人もいて、統計的な人間の特徴がことわざに示されている。
しかし、統計学なんてない昔の人の、人の普遍的な、統計学的な特徴を表すものに、自分が陥った。
1. 恋愛と大学院の両立
僕は、運が良かったのか悪かったのかわからないが、院試勉強でボロボロになっている中、ある女性と出会った。
僕にとっては結果的に、大学を卒業できた救世主なのだが、結局、大学院と恋愛の両方を失った。
2つの両立を目指していた過去の僕は、こんな記事を書いていたのだが、皮肉なことに、自分の利点である長期的な視点というのが、残酷にも未来を予測してしまっているのだ。
しかし、僕が追った二兎は、別に代替性のあるものであり、精神を立ち直らせるためにも「それならまた追えばいい」と開き直る。
2. 大学院と女の代替性
大学院と言うのは、大学よりも数は少ないけれど全国にある。
日本がだめなら、難易度は高いが、海外もある。
受験勉強という長い戦いはあるが、入ってみれば得意な文章を書く課題が多く出され、精神的に健康な状態(理想自己に近い状態)なら、卒業できる。
また、入試が毎年行われているのだから、努力すればいつでも再挑戦できる兎なのだ。
また、女というのは毎月、男は毎日、繁殖できるように設計されている。
そして、ぽつんと家に住んでいない限り、努力できる力がある限り、自分を好いてくれる女は近くにいるものだ。
だから、2つ目の兎も、実はそこら辺の茂みに隠れている兎である。
3. 二兎の追い方
このように、二兎追って二兎を失うのはその人の自身の力不足もあるが、ことわざは瞬間的な描写であり、また二兎追うこともできるのである。
そのために、二兎の追い方というのもポイントになるだろう。
僕は自分でコントロールできるものが少ない状態で、野山で二兎を追っていたようなものだ。
しかし、自分でコントロールできる物を増やし、耳が過敏な僕にとって自分で住む賃貸や生活費を払えるお金が潤沢にある状態では、二兎を追える。
それは、野山を追うよりも、その野山を切り開いて、周りに柵なんかもつけて追った方が、二兎を得られる可能性が高くなるイメージだ。
このように、二兎追ってみた経験から、二兎の追い方が間違っていたのだと学んだ。