あるきっかけで今年の2月に金沢文庫駅に来た。
金沢文庫駅を降りて海岸へと向かう。この近くに海の見える公園があるらしい。
海に向かう道は、海が近いとばかりの肌寒い風が吹いていた。
海の公園に着き、やはり自分は海が好きなんだと再確認する。晴れた青空に肌の奥に刺さるような日光が目に飛び込んでくる。
こんな素晴らしい景色を見たいのは僕だけではないだろう。海岸沿いを歩くカップルや、ビーチバレーを楽しむ中学生の姿が見えた。
みんなこの存在感のある海とそこに溢れる生き物を目にして表情が和らいでいるようだ。
誰しも不満な顔一つせず、毎日充実しているように口角をあげている。甲高く楽しそうな声ではしゃいでいる子どもが遊んでいたり、日の光を浴びてのどかに犬の散歩をしている人もいる。
「みんな幸せそうだな」
海岸線を歩いて目にした人を見て思った。
そんな人を見ると自分の持つ悩みや苦しみが大きく見えるのは気のせいだろうか。他の幸せに触れると、グラデーションのように自分の苦しみが大きく見える。
今年からの大学院の生活、大学を卒業できるかの不安、ホームシック、彼女が自分をどう思うか。不安が無限に溢れてきて尽きることはない。この自分の悲観的な性格にも嫌気がさす。
しかし、よく考えてみれば悩みを抱えるのは僕だけでないはずだ。
海は人の心を癒す。その恩恵を求めてここに足を運ぶからこそ、そこにいる人が悩みなんて1つもないように僕の目に写るのだろう。
自分だけ苦しんでいるなんて傲慢だ。生きている限り、誰しも苦しみを持つ。
そう思うと、悩みや苦しみが全くない人に出会ったことはない。悩みがないように見えても心の奥で誰にも見せない苦しみを抱えていたり、心が健康でも身体の痛みに苦しんでいる人もいる。
「全く悩みがないように見える」のは「他人」というフィルターがかかっているためであって、もし仮にそう見える人と話すことになったら、そのフィルターが外れ自分の目が曇っていたと気づく。
だから、金沢文庫駅を降りて近くの海岸を歩いたときに「みんな幸せそう」と思った僕は、世界の表面だけを見てしまっていたのだろう。
心理職として働くならば訪れるクライエントの身振りや話し方を見るけど、なぜそのような話し方をするのか、言葉を発するかの背景も見ることが求められる。
だから、世界の表面だけでなくその奥にも目を凝らしてみようと思う。
ふとしたきっかけで訪れた金沢文庫駅だったけど、心理職として必要な、また、自分の人生の歩調を軽くできる視点に出会うことができた。