真面目な人ほど、勤勉性のフィルターを通した方がいい。
そのように、今まで日本の教育機関に通ってきて、小中学校よりも高校、高校よりも大学、大学よりも大学院にあがって居心地がましになった経験から思う。
大学院に入ってかなり自分とは気の合う人が多かった。
そうでない人もいたけれど、それはそれ以外の教育機関に通っていたころよりも、苦手な人の母数は少ない。
その一つの理由に、「勤勉性」があると考えた。
・勤勉性とは?
勤勉性とは、心理学の概念だ。
勤勉性のある人は、真面目で、怠けずに、自己コントロールができる慎重な努力家である(岡田尊司さんの「真面目な人は長生きする」より)。
この特性は、Big Fiveの一つの良心性ともいえる(あちらの国では、従順な教徒が日夜を問わず神に忠実に、勤勉で規則正しく生活したとされるため、良心という言葉がついたらしい。日本では勤勉性の方がしっくりくる)。
このように、自分の実感を「勤勉性」の視点から見ていく。
岡田さんの書籍はこちら▼
・学歴、経歴が重視される背景には「勤勉性」の存在がある
居心地はマシになっただけで、別に格段良かったわけではない。
しかし、先のように所属する集団を変えていくと、かなり人間関係での軋轢やストレスは減った。(まあ、元が多すぎるからマシになっても面倒だった)
これは、「勤勉性のフィルター」によって、真面目すぎる自分の周りに、似た人が増えてきたからと考えた。
学歴でひとを判断することは愚かである。
しかし、なぜそこまでして、昔の世代の人がその価値観を重視したかの背景を考える必要がある。
それは、勉強やスポーツ、または多くの芸術的な技能、知識を持っている人は、総じて「勤勉性」があるのだ。
天才という言葉はかなり主観的で、「超一流は才能か、努力か」という本を読めば、世間一般に言われる生まれついた天才などいないことが分かる。
その本はこちら▼
そのため、そのような突出した才能を、点取りゲーム以外でも教育機関は受け入れる方針があるのだから(推薦など)、それは勤勉性はその人の経歴や学歴に「自然」とついてくるものなのだ(自然とついてくるのだから、命を削ってまで自分の体力に合わない努力で目指すべきものではないとは思う)。
これは、学歴だけでなく、社会でなにをしてきたのかの「経歴」にも表れる。
まず、そのような人は社会的に成功しやすく、経済的にも精神的にも恵まれるだろう。
そのような人の遺伝子は多くのこったのだろうし、異性からみてもそれは「勤勉性のある将来有望な人」という、目に見えてわかりやすい、将来を予測する因子になったのであろう(昔は特に、今も多少は当たっているけれど、学歴がすべてではないと、思いたい)
まず、居心地がよくなってきた理由に、勤勉性のフィルターがかかっているという仮説がある。
だから、世に言う学歴がない人も、こつこつと「経歴」をつむことが異性の獲得、または自己実現に繋がる(勤勉性の有無は、今の時代、偉大な影響力を持つ発信者、突出した技能をもつ職人たち(文章、絵、アニメ、会社経営、料理人など多々))。別に、ないならないで、世に学歴とは違う形で、勤勉性を示せばモテるのである。
・なぜ居心地がマシになっていったのか
まず、居心地がましになっていった理由を考える。
それは、小中では、同じ地域にいるという偏狭な理由のみで、多種多様な子どもを箱に詰め込む。
そこには、同じ地域に住んでいる以外、フィルターがほぼないに等しい。
だから、これは僕の経験であるのだけど、「真面目すぎる」人は、そうでない子どもから笑われる。「真面目すぎるだろ」と。
これは、中学で高校・大学・大学院受験のために一日10時間勉強したり学校でも真面目くんであったり、高校・大学で真面目さを他人から笑われたりした、割と苦い体験がある。
しかし、それは受験で、勤勉性のフィルターがかかると、不快に思う経験も減っていく。
学校の点取りゲームにおいても、教科書を全く見ずに点を取れる赤ん坊なんていないのだから、点を取るための勤勉さというのが数字に表れる。
それで人を判断できないが、そこに一種のその人の勤勉性が表れる(点取りゲーム以外で勤勉性が表れる人も多い)。
そのため、高校で出会った人たちは、まあ、自分と近い真面目さをもっており、そうでない人よりも居心地がよい。
また、大学でもフィルターがかかる。
経済的な要因も、かなり学歴に関係するけど、大学受験を突破するにはやはり勤勉性を必要とする。それが、自分の人生に必要ないと、逆算してその道に行かない人も賢い。
しかし、大学にきた人というのは(点取りゲームというものに対して向き合ってきた)、自分と近い勤勉性をもっていたと考えてしまう。
それは、真面目にノートをとることや勉強する人を笑う人よりは、かなり自分と近い人だ(そのような真面目に生きている人間を馬鹿にした経験があるヒトは、僕の文章は不快だろうから、早々に離脱してほしい また、学歴というものに劣等感を抱いている人がもし仮にこの文章を読んでいたとしても、多くのヒトが点取りゲームに時間を費やす中、あなたが一つの技能や知識に、点取りゲームで成果がでるのと同じくらいの懸命な熱量で取り組んだことがあるならば、それは世間の価値観に流されて点取りゲーム・学歴目指しをするよりも尊敬に値する)。
また、大学院入試においてもそうだ。大学よりも、自分の生きる道と近い人、そして勤勉性の近い人が集まってくるのだ。
このように、大学院は中退してしまったけれど(卒業する能力と、まあ、そのための力を蓄える勤勉性が足りなかった)、やめる前の人との居心地のよさというものを、勤勉性のフィルターという概念で考えてみた。
・これからの人生指針
これらの経験を俯瞰すると、僕はこれから自分がやりたいことをする前に集団に属さなくてはいけないから、それは「勤勉性のフィルター」がかかった集団にいきたい。
僕は、真面目すぎるから、それは今は誇りなのだけど、以前の僕はそのような笑われた経験から堅苦しい性格だと思っていたから、自分とは離れた勤勉性をもった人がいる集団では潰れてしまう(自分の真面目さが笑われるような空間では僕は人との熱量の違いにストレスを抱いてしまう)。
だから、勤勉性のフィルターという概念で今後の仕事や社会人としての生き方を模索していきたい。
勤勉性のフィルターとは、多少の努力をしなければ入ることを許されない組織、仕事に、課題解決とともに自己実現の意味合いを含んでいる雇用形態(全体を重視するとともに労働者の「勤勉性」「考える力」を問う仕事)など、今思えば結構ある。
今のところは、拡散的思考の、アイデアをだすことが定型業務の仕事を目指している(起業型、もしくはアイデア提案型の地域おこし協力隊とか)。
そのような仕事があっていると思った理由▼