発信に4年間向き合ってきた僕は、「編集」にも向き合ってきた。
好きな発信者やテレビの効果を、自らの動画に取り入れてみたりした。
そこで、あるテレビを見て気づきを得る。
そのテレビでは、多すぎる編集がタレントの風味というものを相殺していた。
これを僕は、「素材を殺す編集」と呼ぶことにした.
1. 調味料を乱用した料理
これは、編集のスキルを磨いている人でなく発信者向けの文章だ。
自分のブランディングにインターネットという飛び道具は便利なもので、音声や文章同様に価値を持つ。
動画は、見る人が発信者を、現実の一緒の空間にいると錯覚させるからだ。
また、動画もただ単調なものでは見る人が飽きるから、食材が圧倒的でない限り、多少の編集は必要。
しかし、食材が圧倒的であれば、簡単な調味料のみで美味い料理ができる。
料理と調味料の関係は、僕にとっては動画と編集のようで、メインを生かすこともあれば潰すこともできる代物だ。
どんなにうまい物を使っても、調味料を乱用すれば本来の味を潰す。
2. 素材を見て編集を決める
4年間、拙い腕ではあるが編集に向き合ってきた。
そして、自分も4年前よりは多少の味をつけなくても、旨味が出る人格になってしまい、それは喜ばしいことで多くの尖りが出た。
このように、くせの強い食材への調味料は簡単な方が良くて、本来の味を調味料で殺さない心がけが大切だ。
3. 仮説 編集量と自己肯定感の関連
これはあくまで僕の仮説だが、個人において発信をする人を見ると、あまり編集をしない人と多くの編集をする人がいる。
これはおそらく、素材への自信の有無が編集の量と関係しているではないか?というのが僕の仮説。
素材への自信の有無と言うのは、自分で自分をブランディングする発信者にとって、心理学でいう「自己肯定感」だろう。
これは経験則によるものであり、今後心理学の分野で研究してみたい テーマの一つである。