「根府川で降りてみたい」と彼女が口にした。
彼女は静岡出身で、東京から静岡に帰る途中、この海と山に囲まれた要塞のごとき風景が気になるようだ。
時間帯によって、人が下りないこともあるらしい。地平線と海がつながりそうなほど広大な景色が電車の窓から見え、有名な観光地である熱海目前の駅に、何かしら魅力を感じたらしい。
もちろん、僕は岩手県出身で地名は初耳だし、東京から静岡に向かう駅の1つに過ぎなかった。
しかし、彼女が静岡に帰省し僕も静岡に向かうさなか、この駅に到着するアナウンスが流れ、彼女への土産話にもなると思ってホームに足を下ろした。
駅を出て、立てられていた案内板を目にする。どうやら、散歩道が整備されていて多くのコースがあるらしい。
地図通りに進めばいいものの、天邪鬼な僕は案内板の全容をじっくり眺めることはせず、自分が行きたい方向へ足を向けた。
後で地図で確認したところ、僕は小田原湯河原線の車道を歩いたらしい。
この選択が当たりだったのかはわからない。
しかし、僕が雪が頂上に降りしきる山々の方角を目指した道中で、色とりどりの自然や農産物を拝めたことは大きな収穫だ。
目次
2月なのに彩り溢れる岩手県と対照的な世界

岩手県の内陸出身の僕は、平地とその周りを奥羽山脈にぐるりと囲まれた地形で育った。そのため、農業は稲作が盛んで育てている果実もリンゴが多い。
一方、根府川で目にした植生は岩手とは異なり、赤々と実のついた植物や葉や木の形など、慣れ親しんだ岩手に生い茂る植物との違いを目で楽しんだ。
岩手県の2月は大雪で木の葉も落ち、辺り一面が白でおおわれている。街はかろうじて白と、街道に並ぶ店の人工的な色がぱらぱらと並ぶ。
しかし、自然の色と人工的な色は比べようがない。2月なのに、色で溢れた根府川の世界に触れ、岩手県出身の僕は目を見開いた。
また、根府川の傾斜が激しい丘陵では、みかんの栽培が行われていた。
レールのついた滑車が所々に止まっていて、最初はYoutuberが企画で使った何かだと思った。
冗談ではなく、岩手県出身で初見の僕はこの滑車がどのように使われているのか予想もできなかった。
しかし、みかんが多く栽培されていることから、この滑車はみかんの収穫の際に使われると想像できた。
滑車が一気に滑り落ちないように、レールの先々には滑り止めのような歯が並んでいる。詳しい構造は分からなかったが、初めて見る物たちに目を奪われた。
店頭にみかんがこれでもかと並べられた産直 小田原湯川原線を歩いて目にしたお店たち

山々に降りしきる雪を見て、雪国出身の僕は海よりも標高の高い山を目指した。
だから、小田原湯川原線のごうごうと車が走る車道を突き進んだ。
歩道があるところは安心できるが、歩道のない道を突き進むのは車にひかれそうで不安だった。
人が歩くことを想定していない道を歩いた自分が悪いから、今後根府川に来たときはもっと歩道のある道を歩こうと思う。
すれ違う車にびくびくしながらも、道を歩いていく中で根府川の素晴らしいお店に、そこで働く人々に出会えた。
道を歩いていくと、さんさんと照り付ける太陽で喉が渇いた。そのため、水分補給をするために自動販売機を探した。
そんな中目についたのが、みかんを販売している産直であった。「みかん直売所」という看板が添えられている。
オレンジが目一杯に並ぶ光景に惹かれ、ついみかんを手に取っていた。
前に立ち、みかん達を眺めていると、みかんにもいろいろな品種があるらしい。
岩手県の農家出身の僕は、多くの品種を店頭で見ると心が躍る。生家で作っているお米にもいろいろな品種があり、味も取引される価格も多種多様だから、農家目線で産直を楽しんだ。
数あるみかんの中で、僕は「津之輝(つのかがやき)」という名前のみかんに目を奪われた。
産直を後にし、海とみかん畑が広がる傾斜のある空き地で、買ったみかんを頬張る。
とてもみずみずしく、甘い果汁が身体に流れてくる。果肉もぷりぷりしていて、舌が一粒一粒を逃さない。
僕が今までスーパーで食べてきたみかんとは、味も食感も違う。断然、こちらの方が美味い。
また、津々輝という品種名が食欲をそそる。
「輝く」という名前が、根府川の太陽を照り返すキラキラとした海のようで、すっと舌に馴染む。
沼津に向かおうとしていた僕は、「沼津」とほおばっているみかんの名前、また過去に旅した大分の地名の一つである「中津」の中になぜ同じ「津」があるか想像力を膨らませた。
彼女にも聞いてみたが、未だ謎のままだ。
海を見下ろすカフェに惹かれて カフェ「サドルバック」
産直でみかんを手にし、小田原湯川原線を歩いていくと、興味のあるカフェを見つけた。
「海を見下ろすレストラン」と看板が掲げられている。
名前は「サドルバック」と言うらしい。「海を見下ろす」というキャッチフレーズが気になって店内を眺めてみたら、相模湾を広く眺望できるテラスに机といすが並べられている。
あんな青空と大海原を眺めながら飲むものはとろけそうなほど美味しいはずだ。
店内で満喫したい気持ちがあったが、コロナもあって肌荒れが最高潮だった僕は、人前で顔を出す外食を避けていた。
この肌の凹凸がましになり、コロナが収まったときにはもう一度この店の前へと足を運びオーダーをとりたいと思う。
根府川を探索して
僕が根府川に踏み入れた時間は2時間ちょっとで、根府川のすべてを知り尽くせたわけではない。
しかし、その数時間で根府川と隣接する真鶴、相模湾を目にしてお腹いっぱいだ。
根府川は緑と青の調和が素晴らしい。鮮やかな果実の色も溢れ、クリスマスツリーのような華々しさがある。
僕は海よりも山に向けて歩いたから、海の方に向かえばもっと飲食店が見れただろう。しかし、山に進むルートも空気も景色も、岩手県の田舎出身の五感が受け入れるルートだった。
もう東京に帰ってしまった僕は、目も耳もあの根府川の自然と食を欲しているようだ。だから、次はまた季節を変えて、あの雄大な自然に囲まれた根府川駅に僕は足を運ぶだろう。