
お遊びメンターです。 僕は今まで、学校に適応できなかった。労働者になっても、遅刻するし、ルール破るし、長時間労働がむり。
ニートにもフリーターにもたくさんなったし、不登校の境界(行くのきつくて週1でサボる)である。
というわけで、なぜ学校に通うのか。労働者になるのか。
労働者になって、やっぱりきつかった。学校もきつかった。
「これはヤバイ」と思い、資本論を手に取る。めちゃくちゃ難しいし、1ページで飽きる。
けど、読み進めた。そこに自分の苦しみを言語化したマルクスがいる。
さて。なぜ、私たちは学校に通うのか?
それは、機械が発達したことで、子どもも労働者になることができるようになったからだ。
資本主義、いわゆる労働者と資本家のどっちかの選択で、お金と呼ばれる貨幣なり、資本を増やしていくゲームの中で、初めは成人労働者が中心だった。
物を運んだり、物を作るのは成人の方がいいから。しかし、機械が入ってくると、力の弱い子どもも労働ができるようになる。
機械によって、少ない力でも労働できるようになるからだ。
それによって、多くの児童が労働に駆り立てられた。子どもを働かせすぎることはやばいと思った、イギリスの議会が、子どもたちを学校に入れ、学校には特定の日数いなければ、労働をできなくした。子どもたちを守るために。
これが、資本主義の中で子どもが学校に入る理由だ。児童を資本主義の中の、児童労働から守るためである。また、学校というのは、その先に労働者となることを前提とした組織であるとも見れる。
そうなると、学校で適応できなければ、労働者に適応できないのも、過去の私は推測できたのだ。
仕事の人間関係や、ルールを守れない不幸。楽しいこともあったが、幸せ-不幸の差分にしてみれば、-である。
そうなると、労働者や労働者育成機関に適応できなかったものがなるべきものは、資本家である。
その資本家になるための知識が、この本にのっているのだ。労働者が無理なのに、無理して頑張っても、それが得意な人間にかなうはずがない。
何かしらの商品を売って、市場から貨幣【お金】を得て、自分や家族を養う。
この目的のために、一つの手段、方法に固執する必要はない。
私も全くの資本家や経営者になる知識はなかった。しかし、知識を得て、近道をできるのがこの現代社会である。
労働者が無理であるならば、別に、それは、資本主義の中のゲームの選択の一つ、【初めのポケモン、何にしようかな〜って自分の特性なり好きを元に決める】の一部として捉え、資本家という別の選択肢に切り替えてもいい。
きついことをやってもきついだけ。
楽しいことをしていれば成果がでる。
Amazonで資本論と検索して、ポチッとケチらずに買う。
それが今の【過去の】君に必要なこと。
ゲームを楽しむためには、ゲームのルールを知らなければならない。